インドのバクシーシと物乞い。インドの社会問題でもありますが、解決策はあのでしょうか。今回の記事はインドに存在するお金の問題についてです。物乞いとバクシーシについて書いていきたいと思います。

物乞い

物乞いとは

物乞いとは簡単にゆうとお金を求める行為です。インドでは貧富の格差が激しくすごく貧しい人達がたくさんいます。彼らはお金がないのでだれかからお金をもらわないと生活することができません。明日を生きるために物乞いをしなければいけないのです。

物乞いにはどのような人がいるのでしょうか。物乞いをしているのは老人、女性、子供、身体に障害を持つ人です。健康体の若い男性の物乞いはまず見ません。一人で物乞いをしている人もいますが、よく見るのは子供を抱えた女性です。たいてい彼女たちは家族で物乞いをしています。子どもたちの父親が何をしているのかいつも気になります。

また、子供の時に物乞いをしていた男の子が大きくなったら、何をして生活をするのでしょうか。そこは定かではありませんが、どこかで変わらなければそのまま物乞いをし続けることはわかります。物乞いだけで裕福になるほとても難しいでしょう。

そして物乞いと区別したいのはサドゥーです。サドゥーとはヒンドゥー教において、家・故郷・名前等を捨てて苦行に励む放浪の修行者を指します。彼らは自らその道を選んでいます。

物乞いで消えたお金の行方

物乞いのなかにはいくつかのタイプに別れています。それは大きく分けて3つあります。

1,本当に物乞いをしなければ生活できない人

2,お金がないと見せかけて物乞いをする人

3,誰かに利用されて物乞いをしてい人

1番はイメージ通りだと思います。2番は貧しいけど生活できるお金が欲しいタイプ。問題は3番です。なぜなら3番は突然、物乞いをさせられているケースが多いからです。彼らの体は傷だらけです。腕がない人もいれば片目を失っている人もいます。それは誰かに物乞いをさせるために体を奪われているケースが考えられます。

そしてそのお金は必ずしも本人に渡るとは限りません。大抵はだれかにお金が渡る場合が多いです。そして本人にお金をあげても彼らはそれでお酒を飲んでしまうことがあります。せっかくお金をあげたのにそれが無駄になってしまうことを考えると自分の行動に意味があるのか考えてしまいます。

バクシーシ

バクシーシとは

インドには物乞いをする人とは反対にお金を差し出す人々がいます。その行為はこのインドではバクシーシと呼ばれていて、インド人からバクシーシと言われたら物乞いをしていると思って間違いないでしょう。日本人の感覚とは違いお金をくれ!とすごく上から接してくるので怒らないように気をつけましょう。

バクシーシをする理由

バクシーシをする人はなぜいるのでしょう。この行為はヒンドゥー教のなかで良い行為とされているからです。富めるものが貧しいものに施すのは当然だと言う考えがあります。しかしこれは本当に良い行為なのでしょうか。本当に彼らのためになっているのでしょうか。

あなたがバクシーシと言われたら

バクシーシをするかしないかはあなたの考え方次第です。ただ、お金を渡す場合はさりげなく渡し、渡したらすぐにその場を離れましょう。物乞いに取り囲まれることになります。また、お金をあげても感謝されることはないと思ったほうがいいです。

それどころか「もっとくれ。」と言わんばかりの態度をとられたり、別の仲間がまたバクシーシを求めにくることもあります。そんな姿を見ると逆に彼らのたくましさを感じます。


インド=物乞いというイメージを持っている人は少なくはないでしょう。実際、インド留学中や旅行中に物乞いの姿をたくさん見かけることになるでしょう。インドでは自ら進んでお金や物を差し出す喜捨のことをバクシーシを呼びます。


物乞い

物乞いのいる場所

駅やマーケット、観光地など人の多い場所で物乞いを見かけることになるでしょう。警備員の立っているようなところにはいませんが、彼らから見えないところでバクシーシを求めます。例えば、メトロの駅の場合は改札までの駅の階段の入り口です。改札には警備や身体検査のために警察官がいますが、階段の入り口付近にいれば彼らの目に触れることはありません。とはいえ、警備の範囲外、例えば道でバクシーシを求める物乞いを警備員や警察官が追い払うようなことはありません。時たま、観光地のど真ん中などそうやって入ってきたのかわからないような場所で物乞いを見かけることはあります。また、物乞いが多い意外な場所は交差点です。信号待ちの車の窓を叩いて、バクシーシを求めます。



物を乞う人々

物乞いにはどのような人がいるのでしょうか。物乞いをしているのは老人、女性、子供、身体に障害を持つ人です。健康体の若い男性の物乞いはまず見ません。一人で物乞いをしている人もいますが、よく見るのは子供を抱えた女性です。たいてい彼女たちは家族で物乞いをしています。子どもたちの父親が何をしているのかいつも気になります。また、子供の時に物乞いをしていた男の子が大きくなったら、何をして生活をするのか気になります。
一般的な物乞いと区別したいのはサドゥーです。サドゥーとはヒンドゥー教において、家・故郷・名前等を捨てて苦行に励む放浪の修行者を指します。彼らも喜捨によって生活しています。



外国人とわかると物乞いはすぐに寄ってきます。物乞いの姿を見かけるのが当たり前になっているインド人がバクシーシをあげないかと言われるとそうではありません。バクシーシを求められた時にあげるかあげないかは自分の考え方次第です。インド留学中に多少は悩むことになるでしょう。次回のブログではバクシーシの考え方について解説します。






インド留学中に物乞いの姿を見かけ、バクシーシ(喜捨)をすべきか迷うと思います。物乞いに対する考え方は人それぞれです。

バクシーシ

バクシーシに対する優しさとは

喜捨をすることが本当にその物乞いのためになるかと言われると答えることができません。物乞いの親が子供にお金をねだるよう指示している姿を見かけることがあります。そんな姿を見ると子供に喜捨する気が失せてしまいますよね。必死にバクシーシをねだる子供がかわいそうだからといってお金をあげることが本当に彼らの幸せになるとは限りません。彼らはお金をもらえる限り、それに頼って生きるでしょうし、そこから生活を向上させようと努力しないかもしれません。なにも努力しなくてもお金はもらえるのですから。


バクシーシを甘やかすな!という意見

喜捨しても結局何も解決しないとはいえ、彼らはそれしかお金を得る術を持たないです。だから必死にバクシーシを求めます。長期的に見ればよくないことでも、誰かがお金を施さなければ彼らを今日のごはんを食べることができないかもしれません。必死にバクシーシを求める子供などを見るとついお金をあげたくなってしまいます。


バクシーシを受け入れる

喜捨をするかしないかはあなたの考え方次第です。ただ、お金を渡す場合はさりげなく渡し、渡したらすぐにその場を離れましょう。物乞いに取り囲まれることになります。また、お金をあげても感謝されることはないと思ったほうがいいです。それどころか「もっとくれ。」と言わんばかりの態度をとられたり、別の仲間がまたバクシーシを求めにくることもあります。そんな姿を見ると逆に彼らのたくましさを感じます。


インド人の方法

ではインド人は物乞いにバクシーシを求められたとき、どうしてるのでしょうか。バクシーシをあげる人もいれば、まったくあげない人もいます。私たち外国人とまったく同じです。

インド留学中に必ず一度は考える物乞いのこと。留学前と留学後で彼らに対する考え方が180度変わるかもしれませんよ。


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